秋葉原パソコンショップ元店長が介護業界を変える
内田洋(うちだ ひろし)さんは、千葉県長生郡一宮町のグループホーム「ハートライフ一宮」の施設長です。秋葉原を中心に全国20店舗以上を擁する国内最大手パソコンショップ「ドスパラ」を運営する株式会社 ドスパラの取締役で店舗統括責任者をされていましたが、同社を退職し父母が経営する千葉の介護業界で活躍されている内田さんにお話をお伺いしました。
上総一ノ宮駅を降りて徒歩15分、閑静な住宅地でグループホームを営む「ハートライフ一宮」は、現在グループホーム1ユニット9名計2ユニット18名、小規模デイサービス1日10名までの介護事業を営んでいます。内田さんのお父さんがグループホームをこの場所に開所して10年、小規模デイサービスを初めて8年とのことです。職員は22名に加え、内田さんの父親と母親、兄と家族4人も一緒に働いています。
必要な介護とは「自立の支援」であると学んだ
内田さんはドスパラ退職後、施設の勤務シフトに入りながら週一回学校に通い介護を一から学びました。そして施設長として働き始めて、学校で学んだ必要な介護と、現実のギャップに戸惑いを感じはじめました。本来は「自立の支援」を必要としているのに、効率化が優先されたり、会話などのコミュニケーションが不足しがちになっていたのです。
そして、優秀な販売員のように、内田さんは根気よくわかりやすくコミュニケーションを続けました。ただ結果として、今までの介護を良しとしてきた人たちとは意見が合わず、だいぶ人が辞めてしまったと言います。
新しく入ってこられる職員には、事前に内田さんが考える「効率だけを追わず、人と接して自立の支援をする介護」を説明し入社してもらっています。結果、新しく入ってこられた職員は、会社と意見が合わず退職するということもなく長く務められる方が多いのとのことです。
これは地域に根ざしながら、必要な介護とは何かを経営側も理解しているので、介護ヘルパー職を自分の本職とし誇りをもって働くことができるからだと思います。どこの業界もそうですが、行き過ぎた効率化とは関わっている人たちの気持ちを削っていくことはあっても高い志に高揚させることはないのです。
アルバイトから取締役までの20年。店舗づくりのプロとして
今から25年以上に「DOS/V自作」という言葉がありました。DOS/V(ドスブイ)とは、IBM PC/AT互換機の通称で少し乱暴に言えばパソコンの規格です。DOS/V自作とはその規格のパソコンを組み立てることです。内田さんが取締役をしていた株式会社 ドスパラは、業界でも最大手、DOS/V自作時代の黎明期からある会社です。今でも、高品質な画像のゲームなど高速なパソコンを必要とする人や安くパソコンを組み立てたい人は、パーツを購入する為に多くの人が訪れるます。ちなみにドスパラの名前は、DOS/Vパラダイスから来ています。
パソコン専門店は、お客さん自身がパソコンに詳しい方もいれば、初心者の方に教えることもありと、常に新しい商品知識に限らず根気強いコミュニケーション能力も求められます。
その為、店舗設計、お店づくり、販売導線などもさることながら、専門的知識を持ったコミュニケーション能力の高い販売員を育てるための教育がとても重要になってきます。大手量販店が最近になり、家電接客ナンバーワンという宣言をするようになってきましたが、パソコン専門店は、昔から接客ナンバーワンを求められてきた業界でもあります。
進化サイクルの速さから常にトレンドを勉強し続ける必要があり、コミュニケーション能力も求められるパソコン業界の販売員はニッチながらタフさという意味でも最強の接客業だという人もいます。
内田さんがアルバイトで入社した頃のドスパラは一店舗のみ総勢20人でしたが、最盛期の店舗数はで全国に36店舗、社員数800人を超える巨大組織になりました。取締役として、内田さんはドスパラ全店舗の統括をしてきました。
なぜ他社が閉店に追い込まれる中、20年以上に渡りドスパラがパソコン専門店で最大手でいられたかといえば、基幹システムなど社内システム化が早かった事や新卒教育だけではなく、マネジメント研修など普段の社員教育にちからをいれてきたからだといわれています。特に、尾崎 健介社長時代になってから、内田さんも数々の研修で徹底的に叩きこまれたとのことです。
そんな内田さんがドスパラ退職を決意したきっかけは、父親が病で施設を手伝って欲しいという家族の願いからだったそうですが、ドスパラでの店舗づくりの経験、特にパソコン専門店としてのコミュニケーション能力の高い人員の教育手法は、今のグループホーム運営にとても役立っていると内田さんは話します。
求められる理想の介護をする独立した仲間を増やしたい。
特に最近は、他のグループホームで受入れに問題がある利用者さんを受け入れて欲しいと相談が来るようになったといいます。他で出来ないのになぜ出来るのですかとお聞きすると、介護現場では今起こっている状況を感情でその場で判断する事も多々ありがちですが、利用者さんと根気よくコミュニケーションを試み、ロジカルに物事を考えて、施設内ではPDCAサイクルの共有をするだけで特に難しいことはやっていないといいます。
内田さんは、数年先の近い将来の夢を語ります。
「介護業界に必死になって働けるようなキャリアパスをつくりたいです。職員が経験を通じて、ケアマネになるだけじゃなく、独立して居宅介護支援事業者となり、お互いに協力しあう仲間になる。僕?僕はその時は中心にいたいかな?(笑)」
更に少し先の夢として、介護保険適用外サービスとしていくつかの小規模多機能サービスも提供したい、特にレスパイトケア(在宅介護等の家族支援)で、必要なサービスを拡充していきたいとも内田さんは言います。
いまどこの介護事業所も人が足りず困っているなか、ドスパラ譲りの社員教育とPDCAサイクルの共有をしながら職員の独立を通じ一緒に成長したいという内田さんの夢は、地に足の着いた現実感のある夢だと思います。
先入観を捨てて求められるサービスを提供する
内田さんは、以前仕事で頚椎と腰を傷めたことから身体を鍛えていると言います。今月は地元の10kmマラソンにも初参加したそうです。そして昔から好きだったプロレスの影響もあり頭でブリッジするをし首も鍛えていると言います。「首は鍛えられます!」と言いきった内田さんの言葉から「介護業界も変えられます」という期待を感じました。
内田 洋さんのゴングは鳴ったばかりです。